年老いた親御様の在宅介護は、生活そのものがまさに「旅」。
それは、日常が「旅」の構造そのものだから。
そこには、家族が体調を急に崩すなど、予期しない出来事の連続が待ち受けているわけですが、「旅」慣れた人であればその日常は当然と映るはずです。
一方で、定住を求め、それが安定だと考える人にとって、年老いた親御様の在宅介護は、厄介かもしれません。なぜなら、予期しない出来事ばかりの日常です。それは、もしかすると耐えられないと感じるのではないでしょうか。
この記事は、施設/在宅の優劣ではなく、「変化を受け入れる力」で向上するQOL、すなわち私が取り組んだ認知症症状を表面化させない実践についてお伝えしています。
変化を認められるのが本当の安定
平穏で、何事もなく、ただただ穏やかな日々が続く日常。
ひょっとして、そのような日常を求めていませんか?
ましてや、それが平和だと勘違いしていませんか?
本当の平和とは、穏やかに、そよ風が気持ちいい日常の連続とは違います。
本当の平和とは、問題が起きても、知恵を出し合い、解決できる取り組みのある人の集まりの中にあります。
さて、平穏で、何事もなく、ただただ穏やかな日々が続く日常に身を置き続けたとしましょう。
成長しそうですか?
私は、成長するとは思えません。
むしろ、退化するのではないか、というのが私の考えです。
なので、私は明日が判らない今日を大事にしています。
もっと言えば、今日を変化にキチンと対応するから、明日の変化にも対応が出来ると思っています。
明日に何が起こるのか判らなくて良いのです。
変化に対応できれば良いのです。
例えば、「変化=問題」ではなく「変化=情報」と捉える。
そして、その「情報」を記録に残していく。
このような変化の捉え方は初めの一歩ですが、本当の安定へとつながる変化への対応実践力です。
そこは誰もが望む夢の世界?
ところが、変化して欲しくないというのが多くの人の願望です。
もしくは、未来は望むようなになって欲しいと願うのです。
そして、その通りにならなければ、落ち込む。
その落ち込みを怒りに変えて誰かのせいにする。
その怒りをぶつける矛先のもっとも身近な相手は、年老いた親御様ですね。
親が認知症になって、介護が必要になって、子は介護離職して思うように働けなくなって収入が減った。
その責任は、親が年を取るからだと、認知症になって面倒をかけるからだと、年老いた親に怒りをぶつける。
挙句の果てには、親殺しまでニュースで報じられますが、そう感じてしまうほどに追いつめられるのが在宅介護です。
しかし、明日がどのような日を迎えるかなんて、実は誰にもわからない。
その判らない現実に対処対応する力が「生きる」を安定的にする力なのですが、多くの人が未来は自分が望む判りきった現実を希求します。
そして、誰もが願う判りきった未来を具現化した象徴が、実はこの世界にあるのです。
誰もが望む夢の世界のぴったりと一致します。
それが、入所して生涯を終える介護施設。
生活はすべて介助され、面倒な変化ばかりの世界から切り離され、今日と同じ明日が繰り返される環境です。
施設が悪だといってるのではありません。ただ、「変化を失うこと」が年老いた親御様とその家族に何を引き起こすのか。
あなたの実現したい願望は、まさに「変化を失った未来」じゃないですか?
億万長者になれば、変化を失ったこの世界が手に入ると思って、投資を頑張っているのではないですか?
あなたの望む近未来の願望とその環境、それは子からもう面倒が見切れないと、見放された親御様が入所して生涯を終える介護施設と変わらないはずです。
施設入所はノー
実母が年齢を重ねていったとき、私のきょうだいは、しきりに施設入所をさせようとしました。
当時の実母は、認知症の診断が至ったわけはなく、一人で暮らせると断っていました。
しかし、私のきょうだいは、母の親戚も加勢させて執拗に入所をせまりました。
当時の様子の一部は、下記の記事にリンクしてあるので、お時間があればご覧ください。

もちろん、私は母の意志を尊重していました。
なので、実母には住まいを売却してもらい、住み慣れていた地を離れ、実母と家内と私で、一緒に暮らす道、在宅介護のある暮らしを歩み始めました。
その暮らしでは、初めて経験する日々の連続です。
初めての不穏。
初めての排泄介助。
初めての食事介助。
初めての生活支援。
細かくは書きませんが、私にとっての初めては、実母にとっても初めてです。
そもそも、私は介護する子として、母は罹患した者として、超初心者で認知症に接します。
なので、その初めての現象に親子で全力で対処対応する。
予期しない出来事が連続する日々への対処対応が欠かせない生活だからこそ、私の認知症症状を表面化させない取組が完成していったのです。
もしよかったら、次の記事も参考にしてくださると嬉しいです。

在宅介護は正解のない設計問題によく似ています。
今から数十年も昔。CADという言葉が全盛で設計はコンピュータ支援がなくてはならないものとなりました。だからとって、誰がやっても同じデザインの成果は同じにはなりません。人間とコンピュータが協調して、その人独自の創造が産まれたからです。
AI全盛の今も同じ。AIには悪手はなかなか打てないから、あえて悪手を打って状況を打開する創造力も必要です。
それは年老いた親御様の在宅介護にAIを持ち込む場合も同じです。AIも人も認知症を治せないのですが、認知症介護は「安定の追求」ではなく、「変化対応力の設計」でQOLが上がります。
その結実が、私の認知症症状を表面化させない取組です。

